12.台湾沖でランデブー

台湾と日本間の貿易は、1622年オランダが台湾を植民地化する前からありました。当時、中国は明朝の船しか入港を認めませんでした。中国に船が直接入れないので中国からは生糸や絹織物を運び、日本からは銀を運び中国船と日本船が台湾に行き出会貿…

11.台湾で起きたオランダと日本の対立

”1628年のタイオワン事件とは、台湾で発生した事件ある。日本の徳川将軍、台湾の商館長、台湾の新港社先住民、バタヴィアのクーン総督(第4代オランダ東インド会社総督)を巻き込み、日蘭貿易断絶をまねく大事件となった事件であった。” バタ…

10.オランダ東インド会社はわらしべ長者

台湾の歴史の本を読んで台湾の話をNOTEしようとしているのですが、オランダの話が面白くオランダの話が多くなって来てしまいます。貿易、植民地と戦争は密接に関わっている事が今頃(51歳)にして勉強しました。 オランダ東インド会社が取引した…

9.オランダ東インド会社との通訳は、鄭成功の父

”1621年には、台湾や東南アジアと朱印船貿易を行っていた中国系商人の李旦、または、顔思斉(中国語版)の傘下に加わる。日本の肥前国平戸島(現長崎県平戸市平戸島)に住むうち、平戸藩士田川七左衛門の娘であるマツと結婚。後に、息子の鄭成功…

8.台湾 新港語とは

1624年オランダ東インド会社が台湾に上陸したのですが、オランダ語と台湾語まったく通じないので言葉の問題はどうしたのかな?と思いますよね。少々調べました。 オランダ東インド会社は、薪・鹿肉・魚を得るために現地の人と友好的な関係を結ぼう…

7.オランダ東インド会社ついに台湾本土上陸

1622年に澎湖島(ポンフー)を占領したオランダ東インド会社だったが、中国(明国)はそんなそばにオランダがいられては困るので、嫌がったのでしょう。オランダに澎湖島(ポンフー)を出ていくように命令します。そこで、出ていった先になったのが台湾…

6.「嫁をもらいたければ、硓砧石(珊瑚石)を運べ」台湾 澎湖(ポンフー)島

台湾の歴史を調べると外国から交流の始まりの点では、澎湖島が重要な場所になっていたようです。現在、海外旅行もままならない状況なので、澎湖島の現在を調べてみました。行った事がないので、いつかは行きたい場所の一つです。 ”台湾本土から西に…

5.日本と台湾最初の関わり豊臣秀吉

”日本人と台湾の関わりは、記録では1593年に豊臣秀吉が、原田孫七郎をルソン(フィリピン)につかわすついでに、台湾に入貢を促す親書を携帯させた。秀吉は台湾を高山国として独立国なみに扱ったが、台湾は小部族に分かれて割拠していたので、そ…

4.澎湖島(ポンフー)とオランダ東インド会社そして日本

”オランダと台湾の関係は澎湖島(ほうことう)から始まる。オランダが人類史上初の株式会社といわれる「オランダ東インド会社」を設立したのが1603年インドネシアのバンテンに拠点を設けたオランダは同年、日本と中国との貿易を狙って澎湖島に上陸する…

3.イラ・フォルモサ(麗しき島)

推定1544年大航海時代ポルトガル人が台湾沖を通過した時に台湾を発見して、「イラ・フォルモサ(麗しの島)」と感動のあまり叫んだそうです。当時のユーロッパにとってアジアを植民地にするのは経済発展に欠かせない事だったのでなおさらでしょう…