”日本人と台湾の関わりは、記録では1593年に豊臣秀吉が、原田孫七郎をルソン(フィリピン)につかわすついでに、台湾に入貢を促す親書を携帯させた。秀吉は台湾を高山国として独立国なみに扱ったが、台湾は小部族に分かれて割拠していたので、その相手を見いだせず、その試みは失敗に終わった。”
”原田 孫七郎(はらだ まごしちろう、生没年不詳)は、安土桃山時代の商人。また、「ガスパル」の洗礼名を持ちガルパス原田とも呼ばれる。長崎で貿易を営む原田喜右衛門の部下であった。海外情勢に詳しかったため1591年豊臣秀吉の使者として、スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要求する内容の書状を持ってマニラのスペイン領フィリピンの総督ゴメス・ペレス・ダスマリニャスのもとに出向き交渉した。”
豊臣秀吉が台湾と関わろうとしていたのは知りませんでした。日本の貿易に長崎県は重要な場所だったのですね。豊臣秀吉のイメージって「おんな太閤記」の俳優 西田敏行を思い出しませんか?ちょっと古いか!!!
”1609年にはオランダ船二隻が平戸に入港し、そのまま平戸に商館を置いて日蘭貿易は始まったが、実際のところなかな軌道に乗らなかった。”
この時期から日本の外交は活発化していた事がわかります。台湾も外国に翻弄される感じが見えます。
thanks 出典
日台貿易史(その1)オランダ黄金時代 姉崎慶三郎
ウィキペディア(Wikipedia)原田孫七郎
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